大手門(おおてもん)
旧江戸城の正門で、慶長12年(1607年)藤堂高虎によって1年3ヶ月ほどで完成 したそうです。
元和6年(1620年)の江戸城修復に際し、伊達政宗、相馬利胤の協力によって現在のような桝形形式(ますがた)の城門になったといわれています。
大手門の警備は、鉄砲30、弓10、長柄20、持筒2、譜代10万石以上の大名が これを勤めたそうです。
三百諸侯が威儀を正して登城した門になり、大手下乗門(大手三の門)、 大手中の門、書院門(中雀門)を経て本丸玄関前に至りました。
城によっては追手門(おうてもん)といい、防御のために厳重に築造され、大規模な櫓門を開いたり石垣等により枡形をしている事が多く、見た目も大きく、目立つように作られます。
1945年(昭和20年)4月、戦災で消失した旧大手門渡櫓の屋根に飾られていたシャチです。頭部に「明暦三丁酉」と刻んであることから、明暦の大火(1657年)で消失した後、再建された際に製作されたものと推定されます。今の大手門渡櫓は、1968年(昭和43年)に再建されたものです。
現在の皇居大手門渡櫓の鯱です。目の周りなど少しデザインが違うのがお分かりでしょう。
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