太平洋戦争末期と昭和天皇
太平洋戦争末期のころは文字通り世界中で日本軍が戦火をあげていた状況で、昭和天皇は各地の戦況を淡々と質問していました。この点で昭和天皇の記憶力は凄まじいものがあったと思われ、実際に幾つか指示等もしていました。
戦争当時、皇室は大銀行や国策会社の大株主であり、三井財閥の三井家や三菱財閥の岩崎家と同様に「財閥家族」であり、その財閥本社としての機能は宮内省が有していました。 天皇家と、職員数千人を抱える宮内省の複合体である〈天皇家=宮内省〉こそが、天皇財閥という大企業の中核であったのです。戦時経済は皇室財政の拡大に貢献していると言われています。
1945年(昭和20年)1月6日に、連合国軍がルソン島上陸の準備をしているとの報を受けて、昭和天皇は木戸幸一に重臣の意見を聞くことを求めました。この時、木戸は陸海両総長と閣僚の召集を勧めていたのです。 準備は木戸が行い、軍部を刺激しないように秘密裏に行われ、表向きは重臣が天機を奉伺するという名目でした。
そのなかで特筆すべきものとしては、2月14日に行われた近衛文麿の上奏があります。近衛は敗戦必至であるとして、和平の妨害、敗戦に伴う共産主義革命を防ぐために、軍内の革新派の一味を粛清すべきだと提案しています。
昭和天皇は近衛の言うとおりの人事が出来ないことを指摘しており、近衛の策は実行されませんでした。近衛が共産主義革命を恐れた背景としては、皇室家(宮内省)が日本最大の富豪であり資本家であった事実があったからです。
(参考文献)吉田祐二 著『天皇財閥―皇室による経済支配の構造』
天皇を崇拝し尊敬申し上げている私にとって、この記事はいささか信じがたい部分もありますが、歴史上正しいか否かはわかりませんが、皇室をこう捉えている方もいらっしゃるということを知っておくべきと思い当サイトの記事として載せました。記事をお読みになった方々がそれぞれ考えるきっかけになればと思います。トラックバック
トラックバックURL:
http://www.hls-j2006.com/mt/mt-tb.cgi/740